どうしてお盆にお参りするようになったの?
寺嫁業お盆椎茸昆布鰹節ダイエットきのこわたくしごとお寺お知らせ
もくれんさんのお話
昨日のブログで
切子燈篭は
人が【さかさま】になってる姿を
表しているとお伝えしました
その素となったのが
目連尊者の物語です
では、その物語とは
どんなお話なんでしょう?
目連さんは
お釈迦さまのお弟子さんでした
目連さんは修行を行ううちに
神通力を得ることができました
その力は多くの人のために活かされ
尊敬される人になりました
ある日、目連さんは
楽しそうに話しながら歩く
母子の姿を見て
何年も前に亡くなった
母を思い出しました
そこで目連さんは
神通力を使って
母に会いに行くことにしました
探していると
地獄の入口に辿り着いた目連さんは
半信半疑で中に入ってみました
するとそこには
いろんな地獄がありました
その中の餓鬼道
(飲食が自由にならず飢えに苦しむ世界)
という世界で
骨と皮ばかりの姿で
逆さ吊りにされ
苦しんでいる母を見つけました❗️
目連さんは母に駆け寄り
1杯の水を飲ませてあげたくても
それはできません
この世界では
餓鬼が何かを口にしようとすると
炎が吹き出し
口にすることができないからです
母にとっても可愛がってもらっていた
目連さんには
母の哀れな姿が耐えられず
お釈迦さまに相談しました
その時初めて目連さんは
母の悪業を仲間から聞かされたのでした
その悪業とは
目連さんのことが
あまりにも可愛くて
大切に大切に育てていた母は
ある日
家の前を通りかかった修行僧から
「お水を一杯恵んでください」
と何度も頼まれましたが
母はこう言って断りました
「この水は目連の水です!」と…
お釈迦さまは
物を施すことは
執着心を手放すことと奨励していました
それは
心の問題だけではなく
助け合うことで
社会の貧困を解決することを
教えていたのでしょう
しかし、目連さんの母には
それができませんでした
母は、我が子を思うあまり
道理を見失い
その『愚かさ』をもったまま
あの世へ行った結果
地獄へ落ちたのです
目連さんは
自分のために地獄にいる母を悲しみ
再びお釈迦さまに相談しました
お釈迦さまは
過去を取り返すことはできないが
母親ができなかったことを
目連にはすることができると応え
目連さんは
母親のできなかった布施を
人々に行っていきました
目連さんの思いが届き
母は身も心も満たされて
餓鬼道から救われたのでした😊
これが切子燈篭の形となったのです
目連さんが
お釈迦さまの教えにしたがって
修行僧に食べ物を施したのが
7月15日でした
以来8月15日(旧暦の7月15日)を
お盆(盂蘭盆会)として
ご先祖さまによって
私たちと仏さまが出遇う
ご縁となってくださった方に
感謝する
だからお盆にお参りするのです
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます😊
前の記事へ
次の記事へ